報恩講2018

9月13日から15日にかけて二昼夜にわたり、2018年度の宗祖親鸞聖人報恩講を厳修しました。
多くのご参詣並びにご懇志を頂きましたこと誠に有難うございました。
北海道胆振東部地震の一週間後ということでありましたが、当寺の被害は軽微であったこともあり、予定通り迎えることができました。
ご自坊が被災されていながら、ご参勤下さった近隣のご法中もおられたこと有り難く存じます。

今年は富山県高岡市よりお越し下さいました現影顕正師(顕正寺住職)よりご法話を頂戴いたしました。
「報恩講の報恩は知恩報徳であり、知恩がなければ報恩は分からない。恩とは阿弥陀仏のいわれを聞くこと、つまり私の背景を知ることである。」と報恩講を迎える側の姿勢を問われました。
そして、結願日中(15日)に読まれる「如来大悲の恩徳は」のご和讃にもあります「大悲」の文言に「悲(しみ)」の字がある理由について「”悲”の原意はカルナ(呻き/うめき)であり、例え近しい人であっても、私の都合によっては、縁を切ったり遠ざけていく悲しい存在である私たちの在り方を悲しんでおられるのが阿弥陀仏である」と述べられました。
そして、その阿弥陀仏が敢えて法蔵菩薩となって人界に現れて下さったいわれについて、とある防災無線を例に挙げて「逃げて下さい」と何度呼びかけても逃げなかった住民が、防災無線担当者の「私はこの放送を最後に逃げます」という一被災者としての言葉を聞いてはじめて逃げ出した話から、法蔵菩薩が衆生を救うために私たちと同じ苦悩の中に敢えて立たれ、その同じ目線の中で選んだ救いの在り方が「南無阿弥陀仏」というお念仏であった、とご指南下さいました。

今年の『御伝鈔』は上巻を扱い、前半は当寺若院、後半は大泉寺様が拝読下さいました。
『御伝鈔』は宗祖の御生涯が記された書物で、上巻は宗祖の御誕生から法然上人の吉水教団での信心にまつわる諍論についてまでが記されております。
来年は宗祖の越後流罪の話から宗祖入滅後の本願寺教団の成立までが記された下巻を拝読します。

本年度の報恩講で震災の影響を最も受けたのはお斎でした。
震災後の物流の遅滞によってお斎に使う食料の確保に困難が伴う中で、当寺婦人部の皆様を中心として御尽力下さったお陰様をもちまして報恩講を無事厳修出来ましたことをこの場を借りて御礼申し上げます。

次回は9月23日(日)13時より秋彼岸会がございますので、ご参詣をお待ちしております。
布教師は院内で務める予定です。

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